障害者への水泳指導(水泳教室・指導員養成)

身体障害者や知的障害者の水泳指導をしています。(5,000円から)
障害者への水泳指導者も養成しています。(20,000円から)
出張指導もしますので、お気軽にお問い合わせください。(コメント欄にお書き込みください。そのコメントが公開されることはありません)

盲の世界

 ヒトには「五感(ごかん:視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)」と呼ぶ感覚器があります。これは外部情報を受け取るいわゆるアンテナ。スポーツでは特に視覚や聴覚が重要で、確かにプロやオリンピックに出て来るような優秀なスポーツプレーヤーにメガネをかけた人、耳の遠い人は少ないようです。
 さて今回はこの感覚器の中で“視覚”に問題がある人を取り上げましょう。一般に「視覚障害」と言ってもメガネなどで矯正視力を持った人は除きます。視野が極端に狭い人から光くらいは感じる人、光すらも感じない人を指します。また中途失明と生まれつき見えない人では根本的に違います。その違いとは見たこと(見る経験)の有無です。
 ちなみに私には“第六感(五感以外の感覚、あるいは五感を超える感覚)”がありません。ただスポーツでも何でもベテランになると『これから先どうなる』と予見することは出来ます。これは「アンティシペーション(anticipation:予測、予想)と呼んで経験と統計と確率を瞬時に行うものですが、第六感、あるいは予知能力を指しているのではありません。まあアンティシペーションについては別の時に書きましょう。
 さて、もし私に生まれつき第六感があったなら、それを説明することが出来ますが、残念ながら無いのでそれは無理です。また時折「第六感を持っている」という人にお会いしますが、いくら説明を聞いても私には無い感覚器なので理解は出来ません。仮に過去、少しでも私に第六感があったのなら少しは理解できるのでしょうが・・・。
 同様に生まれつき見えない人に「見える」をいくら説明しても彼らに理解は出来ません。見たことがないのですから。過去に見えていた人は「見る」は理解できます。この辺の違いは大きなところです。
 ではどのように違うのかというと、“カタチ認識”や“奥行き”です。見える人(見えていた人)は○、△、□などのカタチを知っています。生まれつき見えない(見たことが無い)人は触って『○は角が無い』とか『△は角が三つ』とか『□は角が四つ』とか、“角の数”くらいはわかるでしょう。でもその形が持つ特性などはまったくわかりません。また遠くのモノが小さく見え、近くのモノが大きく見える(奥行き)こともわかりません。
 以前、ボランティアの方々が盲児のために果物のぬいぐるみを作りました。それは毛糸で出来ていて見事に大きさや形は果物そのものなのですが、それを触った盲児たちはビックリしました。バナナもリンゴも彼らには毛糸なのです。盲児たちにはカタチ認識がありません。視覚以外の感覚器でいくら駆使しても、毛糸は毛糸にしか感じないのです。
 これ以外にも盲の世界ではいろいろあるのですが、生まれつき視覚の無い人に“見える”をいくら説明しても理解は出来ません。逆に視覚をカバーする他の感覚器はとても優れています。もっと言うと普通の人でも感覚器を鍛えるともっと敏感になれるということです。
 盲人たちは歩く時、視覚以外の感覚器で頭の中に地図を書いています。この時、イレギュラーがあると慌てます。よくあることですが盲人が扉などを通過するとき、健常者が気を利かせて「扉を開けてくれる」があります。これはすでに地図が出来上がっている盲人には『この辺に扉があるはず・・・』と探します。それが無いと慌てます。また地図を書いている最中に扉を開けてくれると“扉”が地図の中には出来上がりません。それが次に行った時に扉があると慌てる・・・。
 声掛けをしてください。「ここに扉がありますが、今は開けています。」とか、「そこに扉がありますよ」とか・・・。
 盲人はイレギュラーによって迷子になることもあります。困っていそうな盲人を見付けたら「お困りですか?」と声を掛けてください。盲人の地図上に入れば勝手に目的地まで行くことが出来ます。
 この他食事など、いろいろあるのですが今日はこの辺にしておきましょう。要は少しでも盲人を理解してくれてあなたの優しさがあれば盲人はかなり助かります。

ルーティンとイレギュラー

 昨年(2015)、ラグビーワールドカップ(イギリス)で大活躍した五郎丸選手の“五郎丸ポーズ”が有名になりました。これはルーティン(routine)と呼び、 決まりきった手続きや手順、あるいは日常の仕事や日課を言います。
 ルーティンは最近になって呼ばれるようになったわけではなく、フィギャースケートやシンクロナイズドスイミングなど、競技スポーツの中でも“テクニカルルーティン”と言ってルーティンは多く使われています。
 まあ競技の場合は「決められた技を必ず入れる」となるのですが、五郎丸選手の場合は少し違います。それは必ずしも“決められた技”ではないからです。ですがスポーツ選手の中ではルーティンが多く使われています。例えば野球のイチロー選手はバッターボックスに入るとバットを片手に持って立て、外野に向かって“打つぞ”という様なポーズをします。これもルーティン。
 他にもバレーボールやテニスの選手がサーブの前に何回ボールを地面に突くかなど、よく見ていると必ず同じ回数を突いています。これもルーティン。
 元々ルーティンはその競技に何ら関係ありません。つまり五郎丸選手やイチロー選手がルーティンをしなくとも競技にはまったく問題がありません。ですが何故彼らはルーティンをするのでしょう。それはルーティンによって気持ちが落ち着くからです。しかも集中力が高まります。ひいては成功率が高まるからです。
 調子の良い自分を自分で再現する。これは競技スポーツの中では重要なことです。
 知的障害児と付き合っていると、『ルーティンではないか』と思われる動作をよく見ます。まあそれで水泳の集中力が高まれば問題ないのですが、ほとんどの場合は “ルーティン”というより“こだわり”です。
 ただ“こだわり”だけでは解決できない部分が多いのである意味では“ルーティン”と思われるのです。
 例えばですが、当会員のD君(自閉症)はプールから上がる梯子が決まっていて、別の梯子から上がるとわざわざ再び入水して自分のいつも上がる梯子に移動して上がります。まあ何処の梯子を使っても(使わなくても)同じだと普通は思うのですが、彼の場合は違っているようです。
 ただここで問題が起こります。それはいつもと違った場合です。何らかの問題でいつもD君が使っている梯子が使えない場合です。いつも使っている梯子が使えない・・・。これはD君にとって由々しき問題です。
 別の事例も挙げてみましょう。T君はいつも泳ぐときは耳栓を愛用しています。ところがある日、大事な耳栓をプールの中で無くしました。まあ“無くした”というよりも“いつの間にか落ちてしまった”の方が表現として正しいでしょう。それに気付いたT君はもう水泳どころではありません。プールの中で探すは、探すは・・・。しかし見つからない・・・。
 T君にとってはおそらく水泳よりも大事な耳栓ですから私たちスタッフも一生懸命探しました。でも見つからない・・・。そうなるとT君は落ち着いていられません。挙句の果ては私を殴ったりひっぱたいたり・・・。でも無くしたのは当の本人ですし、私に落ち度はありません。おそらく八つ当たりです。
 知的障害児、特に自閉症の子どもは“いつも使っていた梯子が使えない”とか、“予想外に耳栓を無くした”などのイレギュラーに弱いです。
 イレギュラー(irregular)とは「不規則・変則・正規ではないさま」などを言いますが、“いつも通りではない”というところにパニックになります。
 ここで言う“イレギュラー”とは偶然に発生した物事を指しますが、一般にイレギュラーに弱い子どもたちに対して、親たちはなるべくイレギュラーを避けて育てます。まあ「可哀そうだから」という親心なのでしょうが、このようなことからイレギュラーに対応する精神とか、強くなるとか、そのようなことが育てられないままに大きくなります。
 結果、子どもが二十歳くらいになって親より大きくなると、いっそう親は子どもに手が負えなくなり、子どもはイレギュラーに対して弱く頑固になり、家庭は障害児に振り回され、悪い循環の歯止めが効かなくなります。
 障害児の子育てに親たちも必至であることはわかります。見た目“虐待”に見えるかもしれませんが、ある程度、小さい頃からイレギュラーを経験させることが重要のようです。
 ちなみに自閉症の子どもはルールを守ることが大好きです。ただこのルールは子どもたち自身が作るものであって、社会的に問題の有無に係わらず作ります。社会的問題が無いルールならば“ルーティン”として見ればよいのですが、社会的問題の有るルールは取り除かなければなりません。
 悪いルールを取り除く。いわゆる“こだわりを取る”わけですから、それは意図的なイレギュラーになるわけです。
 子どもの頃からイレギュラーの経験が豊富な子は簡単ですが、イレギュラー経験の無い子はなかなか難しい。
 水泳教室をやりながら小さなイレギュラーを出すのですが、子どもが嫌がる。ひいては親が嫌がって教室から離れる子がいます。しかし10年もすると子が親の言うことを聞かなくなって困っています。
 少し酷なことを言いますが、知的障害は治りません。若いお母さんには“治す”ことより“育てる”ことをもっと考えて欲しいと思います。

水泳教室は2時間

 当方では水泳教室に2時間をいただいています。この“2時間”とは「施設へ入館してから退館するまで」です。
 普通、スイミングクラブでは生徒が水着に着替えてプールサイドに集合し、「こんにちは」の挨拶から始まって「ありがとうございました」の礼で終わります。つまり挨拶から始まって礼で終わるまでの時間を計測しますが、当方では一緒に施設に入り、着替え、一緒にプールに入ってまた着替え、一緒にプールから出て退館します。この間が2時間。
 これは今までの経験上、更衣に30分以上掛かる生徒はプールでも動きが遅く、基礎体力が低いことが分かっています。逆に更衣が10分以内で完了してしまう生徒は、プールでも動きが速く、基礎体力が高いことも分かっています。
 したがって「水泳教室は2時間」と言っても、実際はプールに入っている時間が60分以内だったり90分以上だったりします。
 普通のスイミングクラブのようにプールサイドで始まってプールサイドで終わる(一般的には1~1.5時間)。つまり誰しもが同じ時間でプールに入っていると仮定すると、障害者の場合、ある生徒は運動強度が高過ぎ、ある生徒は運動強度が低過ぎたりします。
 やはり経験上ですが、泳げるようになって体力が向上すると、更衣時間も短縮されます。つまり体力向上によって水泳時間が長くなる仕組みです。
 もっと言うと、「更衣も水泳教室」と私は考えています。
 更衣中に生徒が“出来ないこと”はサポートしますが、“やらない”に関しては“やる”ように指導します。
 “出来ない”と“やらない”は違います。時間があれば出来るのに、「時間が無い」という理由で“やらない”を助長するボランティアもよく見かけます。
 水泳教室で“泳げない”から“泳げる”よう指導するように、更衣も“出来ない”から“出来る”へ指導します。
 何度も言いますが、障害によって出来ないことはサポートします。しかし“やらない”においては“やる”ように指導します。
 以前、重度の障害を持つ生徒が「やってもらえるまで待つ」が習慣化されていました。それを「自らやる」に変えるまで相当の時間を費やしました。それこそ初めの頃は更衣に時間を取られ、プールに入っている時間は少し(200mくらいの練習量)で、まるで行為の練習のためにプールに通う状態(更衣に30分以上掛かる)でした。ところが最近は更衣時間が20分以内に短縮され、ほとんど介護無しに更衣が出来るようになったばかりか、練習量は1,200mくらいまで延びました。
 これはほんの一例ですが、ほとんどの場合が当てはまる事実です。
 ちなみに当方に通う生徒のほとんどが10年以上の継続会員です。10年以上の継続会員はほとんどが1,000m以上の練習量です。(平均2,000m、最大4,000mほど)
 障害者の場合、健常者と比べて泳げるようになるまでスモールステップで時間が掛かります。もっと言うと、障害のために泳げるようにならないケースもあります。
 それじゃ水泳指導じゃない?? そんなことはありません。水の中でおもいきり身体を動かしリフレッシュする。水中運動を楽しむ。それは立派な水泳指導の範疇だと私は信じています。