障害者への水泳指導(水泳教室・指導員養成)

身体障害者や知的障害者の水泳指導をしています。(5,000円から)
障害者への水泳指導者も養成しています。(20,000円から)
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ルーティンとイレギュラー

 昨年(2015)、ラグビーワールドカップ(イギリス)で大活躍した五郎丸選手の“五郎丸ポーズ”が有名になりました。これはルーティン(routine)と呼び、 決まりきった手続きや手順、あるいは日常の仕事や日課を言います。
 ルーティンは最近になって呼ばれるようになったわけではなく、フィギャースケートやシンクロナイズドスイミングなど、競技スポーツの中でも“テクニカルルーティン”と言ってルーティンは多く使われています。
 まあ競技の場合は「決められた技を必ず入れる」となるのですが、五郎丸選手の場合は少し違います。それは必ずしも“決められた技”ではないからです。ですがスポーツ選手の中ではルーティンが多く使われています。例えば野球のイチロー選手はバッターボックスに入るとバットを片手に持って立て、外野に向かって“打つぞ”という様なポーズをします。これもルーティン。
 他にもバレーボールやテニスの選手がサーブの前に何回ボールを地面に突くかなど、よく見ていると必ず同じ回数を突いています。これもルーティン。
 元々ルーティンはその競技に何ら関係ありません。つまり五郎丸選手やイチロー選手がルーティンをしなくとも競技にはまったく問題がありません。ですが何故彼らはルーティンをするのでしょう。それはルーティンによって気持ちが落ち着くからです。しかも集中力が高まります。ひいては成功率が高まるからです。
 調子の良い自分を自分で再現する。これは競技スポーツの中では重要なことです。
 知的障害児と付き合っていると、『ルーティンではないか』と思われる動作をよく見ます。まあそれで水泳の集中力が高まれば問題ないのですが、ほとんどの場合は “ルーティン”というより“こだわり”です。
 ただ“こだわり”だけでは解決できない部分が多いのである意味では“ルーティン”と思われるのです。
 例えばですが、当会員のD君(自閉症)はプールから上がる梯子が決まっていて、別の梯子から上がるとわざわざ再び入水して自分のいつも上がる梯子に移動して上がります。まあ何処の梯子を使っても(使わなくても)同じだと普通は思うのですが、彼の場合は違っているようです。
 ただここで問題が起こります。それはいつもと違った場合です。何らかの問題でいつもD君が使っている梯子が使えない場合です。いつも使っている梯子が使えない・・・。これはD君にとって由々しき問題です。
 別の事例も挙げてみましょう。T君はいつも泳ぐときは耳栓を愛用しています。ところがある日、大事な耳栓をプールの中で無くしました。まあ“無くした”というよりも“いつの間にか落ちてしまった”の方が表現として正しいでしょう。それに気付いたT君はもう水泳どころではありません。プールの中で探すは、探すは・・・。しかし見つからない・・・。
 T君にとってはおそらく水泳よりも大事な耳栓ですから私たちスタッフも一生懸命探しました。でも見つからない・・・。そうなるとT君は落ち着いていられません。挙句の果ては私を殴ったりひっぱたいたり・・・。でも無くしたのは当の本人ですし、私に落ち度はありません。おそらく八つ当たりです。
 知的障害児、特に自閉症の子どもは“いつも使っていた梯子が使えない”とか、“予想外に耳栓を無くした”などのイレギュラーに弱いです。
 イレギュラー(irregular)とは「不規則・変則・正規ではないさま」などを言いますが、“いつも通りではない”というところにパニックになります。
 ここで言う“イレギュラー”とは偶然に発生した物事を指しますが、一般にイレギュラーに弱い子どもたちに対して、親たちはなるべくイレギュラーを避けて育てます。まあ「可哀そうだから」という親心なのでしょうが、このようなことからイレギュラーに対応する精神とか、強くなるとか、そのようなことが育てられないままに大きくなります。
 結果、子どもが二十歳くらいになって親より大きくなると、いっそう親は子どもに手が負えなくなり、子どもはイレギュラーに対して弱く頑固になり、家庭は障害児に振り回され、悪い循環の歯止めが効かなくなります。
 障害児の子育てに親たちも必至であることはわかります。見た目“虐待”に見えるかもしれませんが、ある程度、小さい頃からイレギュラーを経験させることが重要のようです。
 ちなみに自閉症の子どもはルールを守ることが大好きです。ただこのルールは子どもたち自身が作るものであって、社会的に問題の有無に係わらず作ります。社会的問題が無いルールならば“ルーティン”として見ればよいのですが、社会的問題の有るルールは取り除かなければなりません。
 悪いルールを取り除く。いわゆる“こだわりを取る”わけですから、それは意図的なイレギュラーになるわけです。
 子どもの頃からイレギュラーの経験が豊富な子は簡単ですが、イレギュラー経験の無い子はなかなか難しい。
 水泳教室をやりながら小さなイレギュラーを出すのですが、子どもが嫌がる。ひいては親が嫌がって教室から離れる子がいます。しかし10年もすると子が親の言うことを聞かなくなって困っています。
 少し酷なことを言いますが、知的障害は治りません。若いお母さんには“治す”ことより“育てる”ことをもっと考えて欲しいと思います。

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